6/12/2017

制約のない生活とブログ

愛犬が亡くなってから1週間が過ぎました。

人間の死と違うので、それほどやることもありません。

愛犬用のものはすぐに片づけたくないので、ほとんどそのままですが、未使用の薬だけは早めの方が良いので、かかりつけの動物病院に寄付しました。

未使用のドッグフードやおやつは近所のわんちゃんたちへ配る予定です。


愛犬と生活した日々をずっとふりかえってます。楽しかった想い出がたくさんあります。そして、辛い想い出も。

愛犬と出会ってから8年と4か月、私は本当に愛犬命、愛犬が最優先の生活を送ってきました。

愛犬用の食事を用意したり、グルーミングしたり、散歩したり、薬をあげたり、排せつの後始末をしたり、ボール遊びをしたり、一緒に昼寝したり、このような日常のことが全てなくなってしまいました。

いつもドッグフレンドリーのレストラン、ワイナリー、ホテルなどを探しまくっていましたが、もうその必要がなくなりました。

愛犬連れでレストランに行くと、周りの人が不愉快にならないように気配りしていましたが、その必要もなくなりました。

愛犬を連れて行けないレストランでは、よく愛犬用の料理のおみやげを持ち帰りしましたが、その必要もなくなりました。

愛犬とワイナリー行くと、愛犬が気になって、ワインの味や係の人の説明に集中できませんでしたが、集中できるようになりました。

これまで外出を最小限に抑えて愛犬と一緒に家にいることを選んできましたが、いつでもどこでも外出できるようになりました。

とにかく、何の制限もなくなってしまいました。


再び外で仕事をすることもできる、日本に帰って数か月過ごすこともできる、スポーツやエンタメを楽しんだり、アメリカ国内や海外旅行も自由にできます。

家、車、収入も普通にあり、健康体もあり、そして、時間もたっぷりあります。

でも、これが私の望んだ生活ではありませんでした。

たくさんの制約があっても、できるだけ長く愛犬と一緒にいたかったです。

難病をもっているけれど、ミラクルボーイだからきっと大丈夫、もっと生きられると信じていたのに、思いもかけずに彼は旅立ってしまい、制約のない生活が始まりました。


たっぷりある時間で、このブログも更新頻度を上げることができるでしょうが、愛犬のいない生活ブログを続ける気力がありません。

この2年半、愛犬ウエブリーと共に、ナパバレーからブログを発信していましたが、


ここでお休みさせてください。→半年後、12月4日再開いたしました。

もうひとつ書いている「フード&ワインの日々」は引き続き更新していきます。こちらは私の趣味備忘録なので、静かに続けたいと思っています。

ありがとうございました。



6/08/2017

気管虚脱と闘った愛犬ヨーキーの最後

愛犬が旅立って4日が経ちました。

この気持ちを言葉で表現するのはとてつもなく難しく、どのように何を書いたらいいのかもわかりません。

時間が経てば落ち着いて書けるのかもしれませんが、たぶん愛犬を失った思いを言葉にすることはずっと難しいような気がします。

でも、これまで愛犬を応援してくださった方たちへ、彼の最後をぜひ知ってほしいので、ここに記してみます。


このブログで何度か触れていますが、愛犬は生まれて数か月で難治性の気管虚脱であると診断されました。

気管虚脱(Tracheal Collapse)とは、気管が弾力性を失い異常に扁平化することで発症する呼吸障害で進行性の病気です。

シニアになってから発症するわんちゃんも多いのですが、愛犬の場合は子犬の時に診断されたので、おそらく遺伝性のものです。

日本では外科手術を勧めている病院があることはわかっていたのですが、米国動物医学のトップレベルであるペンシルバニア大学、及びカリフォルニア大学デイビス校の見解は外科手術はリスクが大きく、他の手段がない最後の場合のみということでした。

従って、ここ数年間は毎朝晩に数種類の薬を投与して症状を抑えることに徹していました。進行性の病気なので、いつどうなるのか不安な日々、綱渡りの状態でした。

1昨年の6月と9月、6歳の時に呼吸困難そして肺炎を2度引き起こしました。

9月の2度目の時は特に酷く、一時呼吸が止まったのですが、緊急病院での迅速な対応で蘇生して生き延びることができたのです。愛犬はミラクルボーイであると思いました。

それからは夫も私も細心の注意を払って生活し、最近の愛犬は多少呼吸が苦しそうな時(特に夜)はありましたが、比較的安定していました。

亡くなる前日はサンフランシスコにおりました。いつものシティライフで、ホテルに宿泊して、サンフランシスコの街を散歩したり、おいしいものを食べたりして楽しみました。

何事も問題なく、午後にはナパの家に戻ってきて、しばらくの間は普通の状況でした。

ところが、その日の夕方から咳が止まらなくなりました。夕食はとったのですが、咳止めを与えても全く改善しませんでした。

次の手段として鎮静剤を与えると30分ほど静かになりましたが、再び咳が止まらなくなったのです。

これはひどい状況であると思ったので、土曜日の夜中11時にカリフォルニア大学デイビス校(ナパの自宅からは車で1時間)の小動物病院に電話して、緊急診察をお願いしました。

休日の夜中、しかも、ちょうどその時間に帝王切開のわんちゃんの緊急手術が入ってしまったため、愛犬は酸素室に入れられたまま、診察はかなり遅れました。

早朝3時頃、やっとドクター(といってもインターン)が現れて、ちょっと強い鎮静剤を投与したら自力で呼吸できているので、自宅に戻っても大丈夫と言われました。朝には鎮静剤の薬を投与するよう指示を受けました。

家に戻ったのは4時で、しばらく休んでいたのですが、朝8時頃から今度は咳ではなく酷い呼吸音で立ちっぱなしです。座らせようとしてもしない、鎮静剤の薬を与えようとしましたが、飲もうとしません。

再び病院に連れていかないといけないと思っていた時、少し座り始めました。症状が落ち着いて回復しているのかなと思って私が顔を近づけたら、急に2階の部屋へ上がっていきました。

後をつけて様子を見ると、横になっています。口の中を覗くと酷いチアノーゼ症状でぐったり、慌てて夫を呼びました。

愛犬を腕に抱え、緊急病院に連れていかなければと動いた瞬間、私の腕の中で2度程大きく心臓の辺りが痙攣しました。

その後は二度と動くことはありませんでした。

でも、絶対あきらめたくない、蘇生できるかもと思い、一番近い緊急病院(ナパの自宅からは車で30分)に駆け込みました。

病院ではもう死亡していて蘇生を試みても無理だろうと言われましたが、最後のチャンス、心肺蘇生を試みてもらいましたが、ダメでした。

午後に大学病院のドクターと話しましたが、急激に気管がつぶれてしまったのだろうということでした。気管虚脱が急激に進行することはあるらしいです。

他の病気があったわけではないので、純粋に気管虚脱による呼吸困難だったようです。

夜中の大学病院のドクターの診断は正しかったのか、入院を主張していたら延命措置が迅速にできたのではないだろうか、と思いました。

でも、延命治療やリスクの高い外科手術よりも、愛犬は自宅で私たちの匂いを嗅ぎながら、旅立つことを選んだのではないかとも思うのです。

夫と私にとっては、この日がいつか来ることはわかっていましたが、予想もしないあっという間のお別れでした。

子犬の時に2か月程だったと思うのですが、健康で何事もなく過ごした時期はありましたが、それ以外はずっと呼吸器系の病気との闘いでした。

息を吸って息を吐くという当たり前のことが、愛犬にとっては大変な仕事だったのです。ここまで、よくがんばりました。

生後2か月の時、1年もつかどうかとドクターに言われましたが、結局ちょうど8年6か月(2008年12月4日ー2017年6月4日)生きることができたのです。

愛犬の素晴らしいスピリットの賜です。

もっともっともっと生きて欲しかったけど、もうこれ以上がんばらなくてもいいよ、とも思うのです。今はやっと病気との闘いから解放されたはずです。

昨日、火葬を終えて小さな体がもっと小さくなって、家に帰ってきました。


この遺灰はいつか私たちのお墓に一緒に入る予定で、ずっと一緒です。


ブログを通じて応援していただいた方、温かいコメントを残していただいた方、本当にありがとうございました。



🍷ワインカントリー&サンフランシスコのレストラン、ワイナリー、グルメ情報お探しの方は「フード&ワインの日々」



6/04/2017

訃報

6月4日朝、愛犬ウエブリーが私の腕の中で旅立ってしまいました。

8歳半でした。

あまりにも突然のことでショックが大きく、ブログをかける状況ではありません。

落ち着きましたら、再開いたします。

これまで愛犬を応援してくれた方、ありがとうございます。


6/02/2017

サンフランシスコのミッション地区に足を踏み入れる

今週、サンフランシスコのミッションという地区に行ってきました。

行ったといっても、散策するわけでもなく車で通り過ぎただけ、あとはミッションの北の端の方にあるレストランで食事しただけです。

20年近く昔、アメリカ北東部の田舎からサンフランシスコに引っ越してきた時、周りの人たちがサンフランシスコ市内で治安の悪い地区を教えてくれました。

ミッション地区はその中のひとつで、サンフランシスコ滞在していた3年間で足を踏み入れたことはなかったです。

でも、もしかしたら行ったことあっても昔なので記憶がないのかも。

とにかく危ない地区というイメージ(今も一部そうかも)が記憶にあるので、3年半前に再びベイエリアに引っ越して来てからも足が遠のいていました。

でも、様々な情報ソースから、ミッション地区はジェントリフィケーション(都市再編現象)が進んだ地区のひとつで、今や若者を魅了するスポットに変わってきていることは知ってました。

そして、ミッションはサンフランシスコでも屈指のフーディ地区であることも知っていました。

話題のレストランやグルメショップがどんどんオープンして、時代の最先端を走っていることもわかってます。

しかしながら、なにせ昔のネガティブなイメージを引きずっている人はそうそう簡単に行く気にはならないものです。

しかも、元々はラテン系の人たちの地区で、最近は学生、アーティスト、IT起業家などのヒップスター(Hipster)たちが集まる街とか聞くと、おじさんおばさんの場違い感が半端ないです。

流行を追っているわけではないので、行かなくても全く問題ありません。

と言っても、ちょっとばかり気になる店もあるので、勇気(ここ重要)を出してミッション地区に足を踏み入れてみました。

ジェントリフィケーションが進行しているとは言えども、ミッション地区の一部は未だ治安が悪いです。

なので、車で目抜き通りのミッションストリートとヴァレンシアストリートを通り過ぎるだけにしました。名付けてミッションツアー101(超初心者向け)です。

汚かったり危なそうな場所はありますが、お洒落な店もたくさんあるようですので、まあなんとなく若者がこの地に引き寄せられる理由がわかるような気がします。

でも、やはり、この地区はサブカルチャー色が強すぎて、私には場違いって感じがします。

たまに行くのは面白そうですが、そう頻繁に入りびたるような場所ではないです。

食事の前にオーガニックスーパーのレインボー・グロッサリーストアに立ち寄ったのですが、普通のスーパーとはかなり違ってました。

オーガニック教信者が足蹴く通うところです。


スーパーの壁までアーティスティックで、こういうスーパーがお洒落とか思う女子は多いのでしょうね。


よくよく見ると面白そうな商品が並んでいて、時間をかけて見てみたい気がしましたが、時間がなかったので退散。

この後、近くの居酒屋で食事しました。久しぶりの居酒屋ですごく居心地良かったです。

ミッション地区には人気の和食レストランもたくさんあるようです。そういう点では親近感もありますので、これから少しづつ慣れていきましょう。

場違い感を愉しむ!


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